2015年4月28日火曜日

ART OSAKA blog掲載 福岡市美術館「想像しなおし」 展と福岡のアートシーン

ART OSAKA blogへの寄稿(写真は割愛)
掲載URL 掲載日2014/1/24
https://artosakablog.wordpress.com/2014/01/24/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%80%8C%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%97%E3%80%8D%E5%B1%95/

原稿
2014/1/22ver

宮本 初音 (アートコーディネーター / ART BASE 88)福岡在住

1/5
ギャラリートーク会場

写真提供:福岡市美術館
写真8 作品クレジット別紙
http://www.artspacebaku.net/wiki/


テーマ:福岡市美術館「想像しなおし」展 プレビューと福岡のアートシーン紹介

福岡市美術館「想像しなおし」 展と福岡のアートシーン

(本文)1500-2000字 写真10

201415日、年始から福岡市美術館は大変な熱気に包まれた。コンテンポラリーアートの企画「想像しなおし」展、その初日のギャラリートークに観客約200人が集ったのである。

写真1

国内外で活躍する、まさに仕事がのっている30代のアーティスト6人が年末年始の期間福岡に滞在し、制作・設営を行った。
担当キュレーターがオリジナルのテーマを決め、それに沿った作家選考がおこなわれ、各作家とじっくりやりとりしながら、作品をつくりあげていく、それを公立美術館が主催する。世界的にはスタンダードな、このスタイルでコンテンポラリーアートの展覧会が開催されることは、福岡では実は稀なことである。
改装に入る前の同館のメイン展示室を、それぞれが大胆に使った作品は、相互に関連しあい、しかし独立して新しい視点を提案しつづけてくる。謎めいたタイトル「想像しなおし」をキーワードに最先端の「現代美術」の醍醐味をたっぷり堪能できる空間である。


写真 2 大西康明 作品クレジット別紙
写真 3 手塚愛子 作品クレジット別紙
写真 4 川辺ナホ 作品クレジット別紙
写真 5 狩野哲郎 作品クレジット別紙
写真 6 山本高之 作品クレジット別紙
写真 7 山内光枝 作品クレジット別紙
撮影:山中慎太郎

この福岡市美術館は1980年代にはしばしば、東京で活動するアーティストを招聘し現地制作をおこなってきた歴史がある。当時20代の川俣正や30代の戸谷成雄らが地元作家と密接に交流していた。影響を受けた作家達が、こののちにアートプロジェクトを次々と企画するという時代を迎えたのである。「想像しなおし」展においても、地元アーティストが制作をアシストした。その関わりが今後にどう繋がるのか、興味深い。

さらに注目されるのは、同展に合わせ福岡市内の多くのアートスペースで地元アーティストの展覧会が開催されていることである。アートシーズンの秋でなく1月にこれだけの企画展が出揃うのも非常に珍しい。

「想像しなおし」展のポスターや図録等デザイン全般を担当したカラマリ・インク(福岡市博多区)は、民家を使った自社オフィスを会場に、彫刻と絵画の二人展を主催。古い家屋の雰囲気を活かした見応えある展示で話題となっている。
写真9 作品クレジット別紙
撮影:山中慎太郎


大名のkonya-gallery(福岡市中央区)では20代から50代の福岡にゆかりあるアーティスト19組が参加した「Treasure Ship」展を開催、2014年にちなんで20140円で作品販売をおこなった。作品を売買する習慣が少ない福岡で、アーティストへのサポートや交流を狙った企画であり、トークにも多くの地元アーティストが集った。
 写真10
会場風景 (konya 2023提供)

このほか若手アーティストたちに知られたスペース、art space tetra(博多区)、IAF SHOP*(中央区)、シゲキバ(中央区)などでも20代から30代のアーティスト達が意欲的な展示に挑んだ。いずれも「想像しなおし」の会期と連動し観客が回遊することを想定している。
公立美術館が地元アーティストと連携をとることは、簡単なようで意外と行われにくかった。しかし事前に情報を交換し連携していくことが、予想を超える大きな反応へと繋がっていく。この意味でも「想像しなおし」展が福岡アートシーンに与えた影響は極めて重要なのである。

2014年秋には5年ぶりに第5回福岡アジア美術トリエンナーレが開催される。人口が150万人を超え、クリエイターの移住者も増えてきた福岡。九州各地のアーティストたちとの連携も活発になっているこの地のアートシーンに、これからも注目していただきたい。

20141月スタート 福岡の注目展覧会リンク]
1/5-2/23 福岡市美術館「想像しなおし」

1/5-1/19 konya gallery "Treasure Ship"

1/5-2/23 Calamari Inc. "Split Ex."

1/5-1/18 シゲキバ 生島 国宜 個展 "joke"

1/5-1/13, 1/14-1/23(前期と後期)
アートスペース貘「漕ぎ手達の船」
1/7-1/26 art space tetra 「音と平面」 諸岡光男/田熊沙織

1/9-1/26 IAF SHOP* 實松亮 「READING

北九州
1/7-1/26 Operation Table "Morgan O'Hara/ Cosmopolitan Pencil どこでもえんぴつ"

2013/10/15-2014/1/19 千草ホテル 中庭アートPROJECT vol.14 牛島 光太郎 展「千草ホテルの『何も起きない話』」




写真割愛





西日本新聞2013/2/22掲載/[意見識見見解] 福岡-釜山の芸術交流 「行ったり来たり」で新視点

西日本新聞
2013.2.22 11面 [意見識見見解] 福岡-釜山の芸術交流 「行ったり来たり」で新視点(宮本初音・寄稿)


原文 2013/2/13付
  青黒くひろがる水面、その波のあいだから音を立て現れる、ウェットスーツの海女。福岡在住の美術作家、山内光枝(やまうちてるえ)の映像作品の一コマである。山内はここ三年ほど、玄界灘を挟んだ福岡の鐘崎、対馬、済州島、釜山で海女の取材を続けている。この映像作品は福岡と釜山の芸術家ネットワーク「ワタガタ」芸術祭の、昨年の釜山会場で発表されたが、好評であったため再びこの二月に福岡で作品展示とトークをおこなう。
  「ワタガタ」は二〇一〇年に始まった芸術家交流ネットワークで、韓国語で行ったり来たりという意味を表す。アートスペースツアー、芸術家の滞在制作、年一回の芸術祭などを主催し、福岡ではアート企画事務所「アート・ベース88」、釜山では「トタトガ」という芸術家支援機構が事務局となっている。始まりは釜山側からで、双方の芸術家が交流する企画を作れないかという提案であった。韓国では「代案空間」と呼ばれる先駆的な芸術を扱うアートスペースが増えており、海外交流も活発である。対照的に当時の福岡では、若い世代が狭い地域の交流に留まっている傾向があった。この「外圧」により視点が変わることを狙って、まず「釜山アートツアー」をおこなった。
  福岡と釜山、戦後の美術家交流は一九七〇年代から続いている。韓国で日本大衆文化解禁の方針がでる一九九八年よりもずっと前からであり、いまさら何をという声もあった。しかし実際に釜山へ行き、スペースを巡ると、芸術家をとりまく状況は大きく違った。道具がそろった広いスタジオもさることながら、街のなかや高齢者住宅でのワークショップなど市民へ芸術を届ける発表の機会が多い、また商業画廊も華やかで世界に繋がっている。どちらの国も若い芸術家が貧乏と無理解で苦しむのは似ているが社会の中での芸術や芸術家の役割が大きく異なっている。
  釜山での体験を通し、類似と相違、社会状況や歴史感覚、外からの視点を理解した福岡の芸術家たちは、自分が居る時代や場所に敏感になり始めた。芸術家と観光客の違いがここにある。「行ったり来たり」体験は、時をおいて熟成し、新しい視点を示す作品として現れる日が来るだろう。近くでは、来年二〇一四年、福岡アジア美術トリエンナーレと釜山ビエンナーレが同年開催される。そのときに双方を往来するワタガタなプロジェクトを実施したいと、事務局では構想しているところである。

2013年2月10日日曜日

WATAGATAアーツフェスティバル2012 図録テキスト [2013.2.10公開]

公開 2013 02 10
脱稿 2012 11 11

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  福岡と釜山のアーティストが「行ったり来たり(韓国語でワッタガッタ)」する企画も3年目となった。年に1度のアーツフェスティバルは2011年秋の福岡 での開催に続き、2012年は釜山で開催された。今回、日本からは福岡だけでなく九州内の宮崎、熊本からアーティストが参加した。合計14組のうち2組は パフォーマンスで参加となった。また、福岡県内10組のうち、北九州直方エリアから4組が参加した。これは北九州空港や下関港の釜山との行き来に関する利 便性、つまり昔から人やモノの行き来が多く馴染みやすいこと、移動に日数や経費負担が少なくて済むことが大きく影響している。釜山は九州からだと本当に近 い土地なのである。

  2012年6月に福岡アジア美術館のカフェ (FAAM CAFE) でおこなった説明会では50人を超す参加者が集まり、釜山から来た関係者の言葉に集中する九州のアーティストたちは希望と期待に溢れていた。その後14組 が作品プランを提出し、釜山側は会議の末、当初の予定や予算を超え、意欲あるアーティスト全員に発表の場を作ることを工夫してくれた。「結果的に全員参加 だからキュレーターが不在」というのではなく、ひとりひとりのプランを見てチャンスを作ってくれた釜山事務局に深く感謝したい。

  そして、近いとはいえ海外で、ほぼ2週間の滞在制作をおこなった九州のアーティストたちを私はたいへん誇りに思う。絵具の色味が違う、デジタル機器の接続 が違う、刺身のわさびの味が違う、歴史の認識が違う、政治への姿勢が違う、アーティストへのサポート体制が異なるなかでの制作であった。現時点で問題は 様々にあるが、若い同世代のアーティストたちがお互いの仕事現場を繰り返し共有していくことで、生まれ始めた感情やアイデアがあり、この先に開く芽がある と信じている。この、海峡を挟んだ、双方の場所ならではの新しい表現が生まれて来ること、「中央的」な文脈とは異なる有り様を目の当たりにしたいと願い、 次の計画を構想しているところである。

福岡大名にて。2012年11月

WATAGATA(行ったり来たり)する。[WATAGATAアーツフェスティバル2011図録 収載テキスト]

公開 2013.2.10
脱稿 2012.4.06
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WATAGATA
(行ったり来たり)する。
       2012年春 宮本初音

はじまりは、シムさんからの相談だった。
「釜山と福岡でアートプロジェクトできませんか」たしかそんな話だったと思う。2010年の夏の終わり。そして9月、釜山の新聞に私のインタビューが載り(注1)、具体的なやりとりが動き出した。同じ9月に福岡アジア美術館で釜山市立美術館のコレクション展がスタート(注2)。会期中に釜山市のオルタナティブスペース関係者を交えたトークが開催され(注3)、これが「WATAGATA」が生まれる大きなきっかけになった。

福岡にはアーティストたちが運営する小さなアート拠点が多い。そういう場に関わる若い世代がたくさん会場を訪れた。実はこの世代がアジ美のイベントに一度に集うことは意外と少なく、会場は熱気を帯びた。そしてこのとき紹介された釜山のアート拠点への関心が一気に高まった。

時代を遡ると、福岡では昭和40年代から多くの「日韓交流展」が全国にさきがけておこなわれてきた経緯がある(注4)。だから、いまあえて屋上屋を架す交流ごとが必要なのかとも考えた。「でも、じゃあ、わたしたちは釜山をどれくらい知っているのか?」 そこでとにかく行ってみることにした。窓口は2009年にスタートしたばかりの「トタトガ」(注5)。釜山の中心部でアートスタジオを増殖させているトタトガとの話から釜山の作家が福岡で発表できないかと拡がり、アートフェスティバルの話になっていった。ひとりひとりの出会いが次の動きへ繋がっていく。

福岡と釜山のアートネットワーク名としてWATAGATA(韓国語で「行ったり来たり」)と名付けた。打ち合わせの際に釜山のひとが必ずくちにする言葉だったからだ。ひとが往き来する、もちろん、それだけでは漠然としすぎだ。相違を比較することももう充分。実際には福岡も釜山も作家たちは悩みをかかえ表現をさがしている。WATAGATAは目の前にいる、違う文脈の同時代同世代の作家たちが出会うことを促進したい。そこから何が生まれるのか。

さしあたり、2014年の釜山ビエンナーレと福岡アジア美術トリエンナーレ同時期開催のころ、双方が協力するアート企画ができないか、ということを目途に考えた。その打ち合わせを始めた頃、東日本大震災が起きた。地震、津波、そして放射能。生きるために何が必要なのか改めて問われる時代になった。自分たちが囚われている感覚を見返すのに、この身近な異国体験は極めて重要であると思える。お互いの感覚のズレを反芻していると、焦点が合ってくることがある。

しかし、まあ、とにかく「行ったり来たり」してみるのだ。会って、話してみよう。顔を合わせて、同じ目的に頭を痛めてみよう。何度も何度も、ワッタガッタしながら。それは、この場所でないと出来ないことだから。数千年前からそうやっていたように、やってみるのだ。

(注)
1國際新聞 2010.9.15심우현의 규슈 문화리포트 10 후쿠오카의 기획자가 보는 후쿠오카, 그리고 부산(福岡のプランナーが見る福岡、そして釜山)
2 行政交流都市提携20周年・福岡釜山友情年記念「韓国モダンアートの波––釜山市立美術館コレクション展」 2010918日〜113日 福岡アジア美術館
3釜山-福岡現代アート座談会「釜山の現代アートシーンと福岡-釜山の海を越えた美術交流」 2010102日(土)あじびホール。AGIT,オープンスペース「ベ」、代案空間バンディなど釜山のオルタナティブアートスペース関係者が参加。
4 「韓国モダンアートの波」図録 100-107p黒田雷児「福岡・韓国美術交流史」参照
5 「原都心創作空間 トタトガ」 2009年に事業検討が始まったアートスタジオプロジェクト。オフィスビルの空部屋を借り上げスタジオにする組織。まちなかのアート拠点をふやし、住民と芸術家の交流プログラムも多数。(参考:シム・ウヒョン「原都心創作空間『トタトガ』という取り組み」 Yui Vol. 2p.13 20118月発行。行光出版 福岡市)

2011年1月28日金曜日

「あいちトリエンナーレ」感想原稿 2010.9.24

「あいちトリエンナーレ」感想原稿 宮本初音 2010.9.24

 八月下旬に「あいちトリエンナーレ2010」を見て来た。開幕して一週間という時期に、たまたま名古屋に行く用事があり、予習せず会場に向かうことになった。名古屋の中心、栄に着くと、街には濃いピンク色の矢印ロゴがあふれていた。
 国際美術展(現代美術)の主会場は四つ。愛知芸術文化センター(愛知県立美術館)、名古屋市美術館、長者町会場、納屋橋会場である。これらを観てまわるチケットは当日一般一八〇〇円。
 おすすめは、美術館からスタートするルートである。最新情報が得られ、落ち着いて回れるというだけでなく、展示内容が二館とも本当に見ごたえがある。著名な作家やいわゆるイキがいい作家が選ばれ、本展向きの新作が発表されている。映像作品が多いのはどこでも最近よくある傾向で少々疲れるが、インスタレーションでも目を引く仕掛けが盛り込まれている。子ども向けの会場も作ってあり、つまり玄人からアート初心者まで楽しめるクオリティの高さがある。こういった「核になる会場」があると期待が高まる。
 二美術館からやや離れた納屋橋会場は、映像系の作品を公開。もとはボーリング場だということだが、全然わからないくらい「アート」な場所になっている。移動には公式のベロタクシーを利用した。入場券があれば無料なのでお得感が味わえる。
 最先端アートをたっぷり見て満足度は高いが、この三会場はいわばアートの為の場所。トリエンナーレと言うならば、キモは街とのやりとりだ。トリエンナーレは、いつのまにか「街を会場にし、街の特徴をいかし、市民と交流する大型国際展覧会」という意味を持つようになってしまったのだから。
 その回答が長者町会場に託される。日本の富国強兵を支えた愛知と岐阜の繊維産業、その繊維問屋街としての長者町。デザインと国富が密接であるという、この街の歴史を感じる。
 長者町での作品は、確かにそういった街の成り立ちを意識したものになっていて興味深い。普段観光客が来ることがない問屋街に地図を片手に多くの人が歩き回っている。アートカフェがあり、アートデザインの車が走り、公募で選考された若手作家の展示がある。美術館より開放的なムードで祭りを盛り上げている。
 しかし、美術館ではそれなりに決まっていた展示や運営は、長者町では明らかに苦戦していた。作品表示が見つけづらい。解消させるためにサポーターを交差点に配置したり、チラシを制作したり工夫しているが案内過剰で、かえってどれを見たらよいか分からない。会期後半には、良い案内が出来ていることを期待したい。
 こうして主要会場は半日と半日程度でひととおり見終わる。質量としても多すぎない。「あいちトリエンナーレ2010」では一九九〇年代以降、各地でおこなわれたアートイベントの「いいとこどり」したそつのなさを随所に感じた。テーマ「都市の祝祭 Arts and Cities」という言葉はシンプルで嫌みがない。告知関係のデザインは、ピンクの矢印模様と草間彌生ドットで統一され目を引く。ビッグネームで印象づけ、地元とか若手へは長者町界隈でフォローする。予算をそれなりに注ぎ込んだ気配も好感がもてる。おかねなくても頑張りました、気持ちをくみ取ってください!という言い訳を感じず、観客は余計な気を遣わずに巡れるというもの。夜間限定の展示や、パフォーマンス公演もビビッドなラインナップで、日帰りでなく宿泊させる手としても有効。
 いわばこれは「アートの百貨店」だ。お望みのアートが安心品質で揃っていて、あれこれ選んで楽しめる。どこかで観たような作品も、あいちバージョンとして完成度をあげて出品されている。だけど、実は「ここでしかないもの」「初めて挑戦したもの」ってどれだけあるのだろう、そこに若干物足りなさが残った。
 三年後はどうなっているだろう。他の観光資源との連携?さらなる企画の大型化? ふと、ここが有力なアートマーケットの街であることを思い出す。創造的な都市政策とかアートによる地域再発見というお題目がなくとも、三年ごとに話題のアートを見せ、マーケットに繋げるというスタイルは、美術館がメイン会場となり大企業と行政がしっかり支えてれば成り立つのではないか。日本にひとつくらいそういうイベントがあってもいいのかもしれない。

※掲載に当たって変更あり

2010年2月8日月曜日

ねこびin台湾展〜「放。空。」展に寄せて

*風景好art spaceブログより
「預告」3/6 -3/27『放。空。』福岡ZAKKA生活VS風景好写真展@台北!
http://whataview.pixnet.net/blog/post/4599345


「ねこび」展は小さな企画でした。アーティストが本来描きたいものを描き、そしてそれをお客さんに見て、できれば買ってもらうというダイレクトな繋がりを目指しました。猫が福を招くように人の交流が発生するのが楽しくてなりません。しかし、まさか台湾まで来てしまうとは嬉しい驚きです。
ピンキーさんの力強い意志、台湾の皆様のご支援、参加作家の協力に深く感謝いたします。これを機に多くの交流が生まれてゆくことを望みます。

2010年2月
宮本 初音 MIYAMOTO Hatsune
ART BASE 88 主宰

2009年12月15日火曜日

2009年秋〜冬 執筆原稿について

以下の原稿は掲載元メディアが発行されたのち、しばらくの間をおいて公開予定です


原稿執筆時期 メディア名

2009年11月 新美術新聞 2009年12月11・21日合併号 7面
 2009年の九州アート状況を振り返る
 作り手の交流が新しい活動を作り出す

*新美術新聞の公式サイト(記事はありません)
http://art-news.co.jp/shinbun.html


2009年12月 ARTing No. 3 ※2010年1月発行予定


2009年12月 西日本新聞 土曜エッセー ※2009年12月掲載予定